此処は、戦前のままの価値観が蔓延っている

仕事の都合で


浜松に住む事が10年間ありました


私は元々都会の出身で、


それでも父は四国の出身


ー女が家のことをして当たり前やきー


そんな父親の元で育ちましたが


私の世代で都会とならば、


父親が参観日や運動会、卒業式などに


来るのは既に違和感もない時代であり


そういう地域で育ちました


浜松の印象は


関東よりの人達にしては


そこそこ自己主張もはっきり言う方々が多い


初見ではこんな感じでした


遠州地域と昔から呼ばれるそうで


遠州地域は静岡市の方に比べたら


勝気な方が多いと言われるそうです


ここからは、


戦前の価値観が蔓延っているという



タイトルの詳細を手短に紹介します


これから、浜松に移住しようという方は


参考にして下さい


私は既に数年前に、


元の地元へ戻ってきており(横浜)


暮らしてます。



ですので、浜松で体験したこれからの内容は


2010年以降の事です、


専ら最近の事ですので


参考になると思います。



ー引越しの挨拶ー


浜松に越してきて、


挨拶代わりの品物を持ち、


近所の(町内では各組毎に分かれており、


更に、班毎に分かれていました)


私の班には17件の方がいましたので


全てまわりました。


すると、50代からの女主人である奥さんが


戸口に出てこられた場合に


必ずと言って良いほど


以下の事を言われました。


「貴女は都会から来た人、


都会では自己主張して当たり前かもしれませんが、


ここは浜松、家康のお膝元。


右向け右、右に倣え、分かりましたね?


これは気をつけて生活してください」


私が住んでいた場所は、


浜松駅から程近い、住宅街。


決して、山の方の民家が集う場所では


ありません。


先ず、これは驚きました。




ー町内活動は暗黙の絶対ー


次に、こちらのタイトルです。


まず、私の住んだ町の町内は


非常に町内活動が盛んでして


もし役にあたると


1年の内、40回近くは参加するものが

(夜の会議や前準備も含めます)


ありました。


また、町内を抜ける事は、民法では禁じられて


おりませんが、


此処では先ずご法度です。


そんな事をすれば、確実に村八分


先ず、ゴミ出しが出来ません。


これもオカシナ事ですが、


各ゴミ出し場所は、地主さん達が


お金を掛けて状態をよくしてくれていたりします


また、子供さんが居るとなると


たちまち、幼稚園や学校に、


町内を抜けた、異端者、


良からぬ保護者、危険分子と噂が


あっという間にまわります。


子供さん共々、散々な目に遭います。



ゴールデンウィークは浜松に居ろー


これも、非常に戸惑ったひとつでした


しかも、毎年毎年のように。


浜松には、浜松まつりというものが存在します


また、浜松の方は、ねぶた祭り


阿波踊り並みに、全国知名度があると


本気で思ってらっしゃる方々が、


本当に多いです。


なので、


浜松まつり?何?


そんな風に会話を切り返すのはあまり


賢いとは思えません。


(都会もんめ、馬鹿にしてるな)


こんな風に、機嫌が悪くなったり


馬鹿にされてるみたいな顔をする方は多いです。


浜松まつりの事は調べておきましょう。


また、浜松まつり


参加が自由で楽しいお祭りでは、


残念ながら無かったのです。


また、この理由から、


浜松出身なのに、浜松まつり嫌いの方が


意外にも少なくなかったのも


不思議なひとつでした。


まず、独身者の方は


おおかた、参加は自由でしょう。


しかし、所帯者は違います。


先ず、町内から


初子祝いしませんかとお誘いがきます


子供が居なくとも、寄付は必ず来ます。


しかも、粘り強く誘いがきます


この初子祝いは、とにかく子供が生まれる度に


有るものです。


初子祝い1回に、100万円以上かかります


町内の方々に対しての


お酒、食事振る舞い、


凧の作成費、その他もろもろ。


そして、ゴールデンウィーク期間中、


約4日間は、


毎日、毎晩、深夜近くまで


その祭りの行列に参加してる方々が


町中をあちこち練り歩き回ります、


大声で掛け声しながら、


大人数でラッパを吹き鳴らしながらです。


深夜近くでもあります。


本当に非常な騒音でして、


夫も私も結局、慣れませんでした。


昼間には、顔を真っ赤にした飲ん兵衛達が


酔っ払いながら、町をふらふら歩いてます


そして、町内の高額な町費の殆どが、


この飲み代に使用されます。


驚いたのが、


町内館でお祭り準備の為、


子供会のお母さん方と話し合いをしていた時、


ホワイトボードに書き出して纏めましょうと


なりました、


書記の方々がホワイトボードに近づいて


唖然とした顔で立っていた為、


見に行ったところ


ホワイトボードの裏側の面の端から端まで


びっちりと


酒類の名前が書かれていました


アサヒスーパードライ麒麟の何とか、


日本酒の何とか、焼酎の何とか、、、」


びっしりとです。


その日、祭りの係から


昼過ぎは大事な会議があるから、


子供会はその後にしてと連絡があったと


聞きました。


大事な会議とは、どうやら酒類の名前を


頭を捻り出し、延々と上げる事だったようです。


因みに、この祭り、


神事でも何でもないお祭りです。


子供の祭りと称してますが、


各町内の飲兵衛のためのお祭りでした。


私も、役に当たってしまい、


丸々4日間を朝の7時から、夜の23時まで


ずっと町内の係として


はしくり回っていました。


お昼はコンビニのおにぎり2個、


子供達もです。


なのに、男の係達には、


何故か豪華なオードブルやお酒が毎日奮われます


不思議でした。


そして、


「男の人らの邪魔にならないように」


と、子供達の面倒を見る事が係の内容でした。



ー女は女らしくいろー


上述の、浜松まつりの件で


いかに浜松の女性は、ひそひそと


男より目立たなく躾けられている事が


分かると思います。


タリバンのお国と並ぶくらいに、


暗い暗い女性の生きる道が敷かれています。


ここからの章は、浜松の女性に対する


価値観に付随する話を展開していきます。



ー私、女だから。馬鹿だからー


このタイトルの台詞は、


浜松に住んでいる間、


耳にタコが出来るかというほど


聞いた台詞です。


浜松の女性、また、お母さん方は


非常に自己肯定感が低い方が多いです。


「どうしていつも、そんなに自信持ってるの?」


この台詞は、職場や、PTAなど役員の場で、


時々、私が言われた言葉でした。


しかし、私は育った地元では、


まず言われた記憶はありません。


例えば、


彼女達の多くは、


早いうちに結婚して子供がいるので、


比較的、年齢層も若めです。


殆どのお母さんが高卒か、短大出身ですが、


大方が高卒で、あとは専門学校、短大の順番です。


四年生大学の出身で、


中にはG MARCH以上の出身の


方もチラホラいますが、本当に少なく珍しいです。


先ず、これには、浜松、遠州地域の


女の子の育て方が


戦前以前の慣習が未だに根付いている事が


大きくあげられると思います。


先ず、お父さん世代、お爺さん世代の方々、


ざっと50代後半以降の方でしょうか、


「女の子に学を付けても仕方ない」


笑顔でこう言われる方が、今でも多く居ます。


その妻であるお母さん達も、


「女はね、馬鹿だから、ほら、


頭悪いから、家事してるのが1番」


この面子で大体は夫婦構成されています。


では、四年生大学出身のお母さん達は、


どうしてかというと、


小学校の時から出来の良い、所謂、


優等生タイプだと、そんな風に、


都内近くの優秀な大学に行かせて貰える場合も


あります。


ただ、しかし浜松、遠州


大学を出たら、お父さんの言う通りに


「地元に戻ってこい。絶対にそっちで就職など、


許さん!」


だいたいこのパターンのお母さん達が


殆どでした。


とにかく、お父さん大好き、お母さんも大好き、


特にお父さんへの絶対忠誠は死ぬまで奉公


されていると見ても良いです。


そして、あれだけ頑張って名もある大学を


卒業したが、浜松に戻ってきて、


何処に就職するかというと、


先ず大抵は市役所だそうですが、


市役所独特の、仕事の裁量ぶりに付いていけず、


数年で辞められる方も多いそう。


辞めた後は、結局、短大でも入れるような会社で


本当に低い賃金で仕事している


そして、結婚して子供が生まれたら、


自分の両親、又、相手の両親の理解がなければ


先ず、正社員復帰して働き続けてる方は


まあ先ず居ませんでした。


見つけるほうが難しい。


そして、


学校の先生方が、平気で大声で


保護者にこんな事を未だに言います


「子供が家に帰ったら、母親というものは


家に居るものですよ、お母さん」


私も、言われました。


お母さんとして、女として生きてる事が


まるで肩身の狭く、世の中の迷惑者のように


常に地域から、社会から、睨めつけられて


いるかのような。


大学出身ではない、又は、


そんなに勉強が出来なかった他のお母さんというと


本当に、全国でも最低賃金のアルバイト、


パートをしていました。


それも、子供が帰ってくるまで、


それが、ここ浜松では、町内では、


普通だからです。


一度、PTAの会合時に、


どのくらい仕事してるかの話になりました。


時間帯や給与面の話ですが、


その時、私は、自分のまわりのお母さん方が


まさか最低賃金にも近いような、


アルバイトで仕事してるとは全く知りませんでして


大体の年収の話になった際に、


「うちの旦那より稼ぎ良いじゃん?どういうこと?」


そんな展開になったことがあります。


その時、私も子供が小さい為、


夜の残業対応ができなく、


契約社員として仕事してました、


それでも、年収400万は無いです。


しかし、仕事量は課長クラスと同じ仕事でした。


残業していなくとも、タスク完了は絶対に


行っていましたし、残業加味しなくとも


課長クラスであれば年収700万代は固いです。


子供のいる女性の雇用については、


つくづく、日本は世界に恥するべき程の


遅れをとっています。


しかし、これは日本の


結局は都会的な一部分での課題。


浜松の彼女たちは、全く別の意味で


生活困難な課題があったのです。


先程も話に出たとおりに、


ウチの旦那より稼ぎ良い、この部分ですが、


これは、嘘では無いとの事は、別の観点で


説明がつきました。


子供を私立幼稚園に通わせていたころ、


園の3分の2にあたる世帯が、


所得額の理由により、園費を免除される


用紙を提出して、殆どの方が免除されて


いる事を幼稚園の先生から聞いたからです。


非常に多くの世帯が、低所得である事になります。


しかし、これまで話してきた、


浜松、遠州の多くの方の、


女の子の育て方、


男の子の在り方が、


循環が上手くいかないサイクルを


描き続けているんです。


その話をした時、殆どのお母さんが


「良いねえ。ウチはさ、私も頭元々悪いから、


何か今から勉強してもね、


そもそも勉強にならないからさ」


「ほんと、何であんな早くに結婚したのか、


意味分かんないよね。


別に旦那とか存在が意味分かんないし、


交通事故にでもあって慰謝料しっかり


入ってくれる方がよっぽど家庭の為。」


彼女達は、30代、40代にして、


もう既に人生、八方塞がりのように


覚えてしまい、


毎日の楽しみといえば、


子供の笑顔と、


旦那が寝た後の缶ビール。


そして、女の子の家庭の殆どは、


大学費用などは貯蓄はしていません。


女の子だから、四年生大学とか、


よっぽどじゃない限り無いと、


踏んでるんです。


また、男性も、


保護者の中では非常に精神的に未熟な方が


多いことも気になりました。


そして、彼女達は、


家事や育児は女がするものと


根強く刷り込まれています。


小学校の災害時訓練のお迎えを


たまたま夫が行った事があるのですが、


その後に、3人のママさんからメッセージが


届き、


「旦那に来させたな〜笑」


などと言ったメッセージを受理した事が


ありました。


夫も私も唖然としました。


しかし、


この地域のお母さん方が悪いのでは


ないのです。


地域全体により、


悪しきものが、良いものとして


育まれてしまっています。



地元の横浜に帰ってきてから、


子供からよく聞いた言葉が


「こっちのクラスのお友達のお父さん達ね、


凄いの。お休みの日は朝にパンケーキ作ったり、


勉強見てくれたり普通にするんだって、


浜松でそんな事、1回も聞いたことない。


やっと、うちのお父さんが変わってるって


言われなくなりそう」


そうなんです、まあこれが私の小さい頃から


の日常では、当たり前でした。


四国出身の父も、家事はしませんでしたが、


それでも、焼きそばや炒飯を作ったり、


激務でなかなか休みも無い中、


子供達を映画やプールに連れて行ってくれました。


まあこの程度であれば、


探せば浜松、遠州でも、若い世代の家庭では


あると思います。


しかし、子供が言っていた、


「うちのお父さん変わってる」


という部分は、


要は、浜松でのお友達のお父さん達は、


お休みの日もだいたいスマホでゲームして、


横になってたり、


平日は帰ってきたらご飯食べてビール飲んで寝てる


また、子供のお迎えはやはり基本的に


お母さんが多いので、


我が家は夫が手が空いていれば


基本的に夫がお迎えしてました、


なので、お母さんみたいなお父さんだねと


よく、浜松のお友達からは言われたそうです。


横浜の学校では、


PTAも半分近くをお父さん達が占めていまして、


非常に、子供の学校や教育にも前向きで


明るく参加される方が多いです。


しかし、浜松では有りませんでした。


本当に、お父さん方は、ご自分の子供さんに


興味が無いのではと、訝しむ場面が


多かったです。


実際、90年代は2000年に入るくらいまでは、


浜松では、運動会や卒業式でさえ、


父親が参加してる事が非常に珍しい事だった


そうです。


仕事してナンボの男が、


卒業式だ運動会に母親と一緒に出てるなんざ


恥ずかしい事、と認知がまだまだ


高かったそうです。